第7回 律令制度ってなんだ?

 

「律令」で思い出すのは、「大宝律令」。何年でしたっけ? これは覚えやすいから、覚えておくと便利ですよ。701年です。710年が平城京だから、奈良時代にはいる少し前ですね。

 

話はそれますが、「何が何年」と覚えるのは面倒だからといって、覚えない人が多いようですね。全部覚えようとするから面倒なんですよ。ほんのいくつか、きりのいい数字や本当に重要なものだけでも覚えれば、他はだいたいの見当がつきます。そんな数字って覚えようと思わなくても、例えばこのシリーズを読んでいるだけでも、覚えていくものです。そう、語呂合わせもいいですね。「なくよ うぐいす 平安京」とか、「なっとう うまいよ 平城京」(?)なんて。あとは、「何時代が始まったのは何年」を覚えればok。あとで、特集を組みましょうか。

 

えっと、「大宝律令」とは、「律令政治のもとになった法律」です。といったって、わからない。中国の「唐」をお手本に、法律である「律令」を土台にして政治が行われたのです。「律」は、刑罰。「令」は、政治のしくみ を定めた法律です。「刑罰」は、「盗みをはたらいた者は百たたきの刑」(失礼!百たたきの刑は、江戸の刑罰でした)なんてものですよ。今でも「刑罰」はありますね。そして「政治のしくみ」とは、中央に2官8省、地方には国司・郡司をおいて、貴族や地方豪族が仕事にあたる、といったしくみのことです。戸籍をつくりだしたのもこの頃です。

 

2官は、神社に関する「神祇官(祇という字は正確には違います)」と政治を実際に行う「太政官」です。太政官の下に、太政大臣・左大臣・右大臣がおり、その下に8省がありました。いわゆる役所です。

 

ほら、次の歴史につながる言葉がでてきましたよ。「太政大臣」です。平安末期、「平清盛」がついた役職です。太政大臣が一番偉くて、その次が左大臣、次が右大臣です。

「あ~かいお顔の右大臣♪」って、「ひな祭り」の歌にありますよね。雛人形の段飾りには、右大臣と左大臣がいます。左大臣のほうが偉いのですね。

 

このようにして、奈良時代を目前にして、日本の政治の体制が整いました。天皇を中心とする、律令国家です。この律令政治がいつまで続いたかというと、明確にここまでとはいいきれません。ただ、「太政大臣」という役職は、平安の藤原氏の摂関政治からは、形式的なものとなっていきます。しかし、公家社会(天皇のまわりの貴族たち)で律令が維持され、明治18年に廃止されるまで、「太政大臣」という役職は続くのです。

 

☆☆ 今回の目標   「律」と「令」は何かを理解しよう ☆☆