第46回 敗戦とその後
1941年12月8日に始まった太平洋戦争は、1945年8月15日の玉音放送(天皇のお言葉)までの3年半続きます。
最初は優勢だった日本軍ですが、なんといっても相手は大国アメリカです。アメリカの財力に比べれば、日本の財力なんてたかがしれています。それでも、1938年に制定されていた国家総動員法により、国民から金属類などをかき集めて軍艦等をつくり交戦しました。
「軍艦大和」は、結局活躍しませんでしたが、世界的に最も優れた軍艦だったのですよ。それに「ゼロ戦」という戦闘機は、小回りのきく他国にない優秀な戦闘機だったのです。
ただ、すぐれたアメリカの調査能力と開発技術が財力に裏づけされて、すぐにゼロ戦を上回る「B29」という戦闘機を作ってしまいましたが・・・
海軍にいた父の話ですと、B29があまりに高いところを飛んでいたので、軍艦からの射撃が届かなかったそうです。母は学徒動員で「風船爆弾」を作らされていました。アメリカまで風に乗って飛んで行って、小さな爆弾を落とすのですって。なんだか笑ってしまう話ですが、これが、本当にアメリカの西海岸に届いたというのですから、その技術には驚きです。
軍艦やゼロ戦などを作った優秀な技術は、終戦直後にはアメリカにより封印されてしまいましたが、何年もたってから、日本の産業に貢献したことは間違いない事実です。
戦争が長引くにしたがって、戦況は悪くなってきました。1945年3月首都東京が空襲にあいます。また、沖縄には連合軍が上陸し、日本領土での唯一の戦闘をくりひろげました。
イタリアとドイツが相次いで降伏、1945年7月にはポツダム宣言がなされます。日本に降伏を求めてきたのです。しかし、それに応じない日本。ついに、1945年8月6日広島、8月9日長崎に、世界で初めて「原子爆弾」が投下されてしまいました。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、天皇が初めて自分の声で敗戦を告げるラジオ放送が流れました。日本は負けたのです。
それからは連合国の支配のもと、戦後の復興、民主化が進められていきました。その任務にあたったのが、アメリカの「マッカーサー」連合国軍最高司令官です。まず、戦争をひきおこした罪で戦争犯罪人が裁判にかけられ処刑されました。(この人たち〔A級戦犯〕のことで、今、首相の靖国神社参拝が問題になっているのです)
軍人たちは公職追放といって政界や教育界、財界などの公職につけないようにされ、天皇は「人間宣言」をさせられました。(本当は、天皇も戦犯として処刑しようと連合国側は言ってきたのですが、マッカーサーが、それでは日本国民のよりどころがなくなってしまうと、天皇制を残すために行ったものだということです。なぜ「人間」宣言なのかというと、連合国の宗教は、キリスト教。キリスト教では、神はイエスただ一人なので、天皇が神様というのは受け入れられなかったからだそうです)
三井・三菱・住友・安田などの財閥は解体され、農地改革によって小作人に土地が安く売り渡されました。そして、1946年11月3日、新しく日本国憲法が公布されて、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三本軸とした民主主義体制へと変えられていったのです。戦前と比べるとすべてが変わったという感じですね。
☆☆ 敗戦後の日本を把握しよう ☆☆