第45回 世界恐慌から第二次世界大戦へ
昭和に入り間もなく、世界規模の経済危機が訪れます。1929年10月24日、アメリカのニューヨーク株式市場で、株価が大暴落しました。原因はいろいろあるようですが、簡単に言うと、第一次世界大戦による被害を受けなかったアメリカ経済の発展と直接ダメージを受けたヨーロッパ経済の復興の遅れにより、世界規模での経済のバランスがとれなくなったということでしょう。
株価というものは、売る人と買う人がほどよくいて平衡が保たれているものだから、どちらかが多くなりすぎると平衡がとれなくなり、株価が下がってしまうといったらわかりやすいでしょうか。
とにかく、これにより、世界規模で商品が売れなくなり、銀行や企業が倒産して失業者がふえました。各国は、この世界恐慌から立ち直る政策を打ち出します。アメリカはニューディール政策をとり、公共事業をふやすなど政府が経済にかかわることで乗り越えようとします。
イギリスとフランスはブロック経済政策をとりました。本国と植民地との貿易を保護し、他国からの商品には高い関税をかけて入らなくしたのです。
どちらも、国内の産業を盛んにして失業者をなくそうとしたのですね。こういった政策をとれたのは、消費量が多い国、この頃ですと植民地を持っている国々でした。
また、ソ連などの社会主義国家は「世界恐慌」の影響を受けなくて済みました。なぜなら、もともと自給自足の経済なのですから、他国の貿易がストップしても関係なし。
しかし、ドイツ・イタリア・日本のように民主主義国家で、植民地を持たず、自国の消費量も少ない国では、なすすべがなく、自然とファシズムに走っていったのです。
民主主義を否定して独裁政治をめざし、周りの国を植民地とすべく、軍事力で攻撃を始めました。第一次世界大戦後に保たれていた世界の均衡は、こうして崩れました。
イタリアは、「ムッソリーニ」による独裁。ドイツは「ヒトラー」が政権を握ります。そして、日本では、政党内閣である「犬養毅」内閣が政権を握っていましたが、軍部が中国進出への足がかりとして、1931年に満州事変を起こしました。南満州鉄道の一部を爆破。それを中国のしわざだとして、中国軍と戦い始めます。
翌年には満州を占領して「満州国」を作りましたが、それを認めない「国際連盟」を脱退することになりました。
一方国内では、1932年5月15日、海軍の青年将校らが、内閣が不満と、犬養毅首相らを射殺してしまいます。政党政治の終わりです。次いで1936年2月26日、陸軍の青年将校が軍部独裁の政権をめざして反乱を起こし、これ以降、太平洋戦争が終わるまで軍部による政治が行われ、一路「侵略戦争」へと進んでいったのでした。
1937年の盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに日中戦争が始まりました。中国は、「蒋介石」率いる国民党と「毛沢東」率いる共産党が手を組み、抗日民族統一戦線を作って日本軍に抵抗します。
1939年ドイツがポーランドに侵入したのをきっかけにヨーロッパで第二次世界大戦が起こります。そして、日本が、そのドイツとイタリアと手を組み、東南アジア進出を狙って、ハワイ(アメリカ領)の真珠湾を攻撃したものですから、連合国軍(主にアメリカ)は日本との戦争に踏み切ります。とうとう悲惨な太平洋戦争が始まってしまいました。
☆☆ 世界恐慌と第二次世界大戦との関係を理解しよう ☆☆