第34回 中国との関係 

 

外国との関係をどこから、どのように話を進めようかと迷ったのですが、中国に関すること、朝鮮に関すること、イギリスに関すること、ロシアに関することの4つに分けて話すことにします。ただ、それぞれが相互にからみあっていることもありますので、その辺はご勘弁ください。

 

〔中国〕

  1871年    日清修好条規

  1894年    甲午農民戦争

  1894~95年 日清戦争

  1895年    下関条約

    1895年    三国干渉

  1904~05年 日露戦争

  1905年    ポーツマス条約 年表にすると、主にこんなところかと思います。

 

 さて、日本が明治になった頃の中国は、どんなだったでしょうか。国をまとめていたのは、「清」です。中国の北部の「満州」民族が建てた国です。東南アジア諸国がヨーロッパの植民地になっていく中、中国は、日本と同じく「鎖国」政策をとっていました。

 

 しかし、1840年のアヘン戦争で、イギリスと衝突します。結果、南京条約という中国にとって不平等な条約を結ばされてしまいます。「上海」など5港を開港、「香港」をイギリスにゆずりました。(以降、1997年に返還されるまで、香港だけイギリスに統治されます。まるで太平洋戦争後の日本における沖縄みたいですね)

 

 日本より早く開国した中国とは、1871年(明治4年)、「日清修好条規」を結びます。「貿易を認め、立場は対等、互いに助け合いましょう」という内容でした。途中「沖縄」はどちらの領土か、もめたことはありましたが、まあまあ、うまい具合にいっていたのです。

 

 しかし、朝鮮で甲午農民戦争が起こると、日本と中国は対立してしまいます。

(甲午農民戦争については、朝鮮のところで詳しく話します) 朝鮮政府が助けを求めた中国と、朝鮮進出のきっかけをねらっていた日本の間で、日清戦争がおこりました。その頃の日本は、西洋から武器などを仕入れ、近代的な軍隊教育をしていたこともあって、日本が勝利します。1895年4月、下関条約。

  1.清に朝鮮の独立を認めさせる

  2.リャオトン半島・台湾・ポンフー島を日本の領土にする

  3.日本に賠償金を払う            などの内容でした。

 

 とうとう、日本が大陸に進出する足場ができたのです。これを「待ってました!」とばかりに乗り出してきたのが、西欧諸国。中国に対し、あちらこちらの土地を「貸しなさい」と迫ります。植民地にする代わりに「租借《他国の領土を借りること》」していきました。そして、日本に対しては、三国干渉という手にでます。ロシア・フランス・ドイツの三国です。「下関条約で手に入れたリャオトン半島を清に返しなさい」と言ってきました。

 

 ここで、つっぱねることができなかったのが日本。開国したばかりで、まだまだ世界的に弱い立場であったため、言うことを聞かなければならなかったのです。

 

 その後、ロシアは「南下政策」をとって、中国の満州や朝鮮をねらってきます。日本は、それをさせじと日露戦争に突入するのです。そして、なんと!日本が勝ってしまった!! (ロシア国内で革命が起きていたため・・・かな?) 戦後結ばれたポーツマス条約で、日本は、中国からロシアが租借していた「旅順」と「大連」(リャオトン半島の都市)の租借権を手に入れます。(リャオトン半島の一部を奪い返した感じかなぁ)

 

 といったところが、明治時代の中国に関する出来事です。なるべく簡単にすっきりと書いたつもりですが、どうでしたでしょうか。

 

 

☆☆ 中国との関係を整理しよう ☆☆