第30回 それぞれの幕末
黒船がやってきて、若者たちは刺激を受けます。「おぉ、あんなにすごい技術を持った外国に勝てるわけがない。開国すべきだ。」と言う人も、「いや、あんな外国に支配されてたまるか。俺たちの日本を守るべきだ。」という人もいたでしょう。そこで、生まれたのが尊皇攘夷論でした。「尊皇」は、「天皇を尊ぶ」ということで、「国学」の発達(本居宣長の「古事記伝」)などにより高まった思想です。「攘夷」は、「外国船をうちはらえ」という主張でした。そこへ江戸幕府が、天皇の許可もとらずに、勝手に開国してしまいます。当然それらに対する反発が起こりました。やはり天皇を重んずべきだし、外国をうちはらうべきだ、と。
この思想は、特に西国の藩に広がります。長州藩(山口県)は、イギリスやフランス、オランダ、アメリカの四カ国の連合艦隊に攻撃をしかけます。「下関戦争」です。薩摩藩(鹿児島県)は、イギリスを相手に「薩英戦争」をしかけられます。薩摩は引き分け、長州は負けてしまい、外国の力の強さを知った両藩は、一転「開国」へと意見を変えました。
しかし、それだけではおさまらず、「この頃の世の中の不安定さは、すべて幕府のせい。幕府を倒せ!」と進んでいったのです。「尊皇倒幕」です。
幕府も動きます。「公武合体」(朝廷と幕府が協力しあって政治の困難をのりきろう)の考えのもと、14代将軍徳川家茂と孝明天皇の妹和宮(皇女和宮と呼ばれる人です)が結婚します。が、幕府の力は回復しませんでした。
さて、この頃の幕府派は、「会津藩」「新撰組」「勝海舟」。倒幕派は、「西郷隆盛」「大久保利通」「高杉晋作」「木戸孝允」「岩倉具視」、中立派(?)が「坂本龍馬」といった名が連なります。この人たちの生き方が好きな人って多いですよね。戦国と幕末の歴史が好きという人も結構います。私は思うのですが、どちらの時代も、世の中を変えるという大きな夢をもって戦った人たちなのではないでしょうか。そこが「いい」のかもしれませんね。
でも、これらの人たちだって、ひとりひとりの立場・考えは微妙に違っていたのですよ。一番変わっていたのは「坂本竜馬」ですかね。ひとりだけ「土佐藩」の出身で、主君に縛られず、日本で初めての会社(海援隊)をつくり、薩長・幕府の間で動き回ります。最後は暗殺されてしまいましたが、彼こそ、誰にも縛られずに自分の野望を遂げようとした人なのかもしれません。幕府派の「新撰組」だって、坂本と同じような野望を抱いていたのかもしれません。だって黒船が来たとき、「近藤勇」19歳、「土方歳三」18歳で、坂本竜馬と同じ歳だったのですから・・。しかし、そこが紙一重。どこでどう違っていったのか、「新撰組」は幕府を守ることに身を投じます。
結果は、雲泥の差になってしまいます。倒幕派は明治政府の要人に、幕府派は五稜郭(北海道)まで追い詰められてしまいます。
1867年、大政奉還。1868年、五箇条の御誓文。明治天皇16歳。育ち盛りだった明治天皇は、幕末の若者たちの戦いをどのように感じていたのでしょうか。
(幕末の動きを関係者の年齢とともに追っていくと、今までとは違った見方ができますよ。興味があったら試してみてね。)
☆☆ 幕末の若者たちの気持ちになってみよう ☆☆