第43回 大正デモクラシー

 

 第一次世界大戦中の好景気による物価高と米商人等の買い占め、それによっておこった米価の暴騰に抗議する「米騒動」。好景気をうまく利用して大金持ちになった「成金」などなかなかにぎやかな大正時代ですが、大正というと大正デモクラシーという言葉が頭に浮かびます。

 

 「民主主義の実現を求める動き」が「大正デモクラシー」だそうですが、具体的には護憲運動と普通選挙運動ですね。前回の話の「社会主義国家」の誕生などの影響で、この頃になると日本国内にも「社会主義」の考えや「民主主義」「自由主義」などの様々な思想が広まりました。吉野作造は民本主義を唱えます。国民主権である民主主義の考え方で、普通選挙の実施や政党内閣の確立などを主張しました。

 

 振り返ってみてください。明治時代にできた憲法は主権は天皇にあり、内閣は勝手に決められ(藩閥政治)、国民の選挙権だって「25歳以上の男子、国税15円以上を納める者」と制限されていました。これを民主化しようとする動きが護憲運動です。

 

 1918年、原敬が初めて本格的な「政党内閣」を立ち上げます。「政党内閣」とは、議会で多数をしめた政党が中心になってつくる内閣です。このときの政党は「立憲政友会」で、原敬はその代表者である「総裁」でした。現在は「自由民主党」の党首である安倍 晋三さんが内閣総理大臣になっていますよね。「政党内閣」です。

 

 そして1923年9月1日、関東大震災が起こりました。首都東京は死者10万人という大規模な被害を受け、世の中は混乱します。しかも、その時期には、社会主義や共産主義などの思想の影響を受けて、労働組合や農民組合、部落解放運動の全国水平社、婦人解放運動の新婦人協会などの組合・団体活動が活発になっていました。政府には、それらの活動を抑制する必要がありました。

 

 1925年、「加藤高明」が首相となり、治安維持法なるものを成立させます。
簡単に言っちゃうと、社会主義者たちを弾圧する法律だったのです。その代わり、加藤は、普通選挙法も成立させました。これにより、選挙権は、「25歳以上の男子」全員に与えられることになり、被選挙権(立候補できる権利)も30歳以上の男子と決め、誰もが政治に参加できるようにしました。(でも、まだ、男性だけなんですよね。) 

 

 1926年12月25日大正天皇がご崩御され、24歳で昭和天皇が在位につかれました。激動の昭和時代の幕開けです。

 

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