第31回 明治維新で変わったこと
「五箇条の御誓文」から始まった明治時代では、社会が大きく変化しました。次の言葉を覚えておきましょう。
版籍奉還、廃藩置県、四民平等、富国強兵、地租改正、徴兵令、殖産興業、官営工場、文明開化
これで、ほぼ網羅するかな。それぞれに、もっと具体的な言葉がくっついてくるけどね。
「版籍奉還」「廃藩置県」・・・よく内容を確かめましょう。1869年の「版籍奉還」は、大名が土地と人民を朝廷に返したこと。1871年の「廃藩置県」は、藩を廃止して府と県をおいたことです。これにより「県令」が各府県に配置されました。後の「知事」です。(この頃から、東京と京都と大阪は「府」でした)もちろん、県令(知事)は中央政府から任命された人でしたけど。(まだ、選挙ではありませんよ)
「四民平等」・・・江戸時代にあった身分制度「士農工商」を廃止しました。でも、「すべての人が平等」ではなかったのです。公家・大名を「華族」、武士を「士族」、農工商を「平民」とし、華族や士族には特権が与えられました。また、「解放令」をだし、江戸時代の「えた・ひにん」(江戸時代の士農工商より身分の低い人)の呼び名をやめました。彼らは「平民」とされましたが、その後もいろいろな面で差別を受けました。
「富国強兵」・・・読んで字のごとく、国の財政を豊かにし、強い兵力を持つことです。この方針に従って、「教育」と「徴兵」と「殖産興業」がなされました。
教育では、「学制」がしかれ、6歳以上の男女に小学校の教育を受けさせようとしました。が、授業料を払えない子供たちもいて、すべての子に平等に教育を受けさせることは困難でした。
また、「徴兵令」がだされ、20歳以上の男子に兵役を義務付けました。しかし、これも特例が設けられ、役人や戸主(跡継ぎ)は免除されたようです。
殖産興業として、近代的な「官営工場」が作られました。群馬県富岡市の「富岡製糸場」は官営工場のひとつですが、今でも機械が動くかたちで保存されています。フランスの機械や技術を取り入れ、女工の指導者を育成し、製糸技術を各地に広めるきっかけを作りました。後に、官営工場は民間に払い下げられます。また、明治5年に新橋~横浜間を走った鉄道は、全国の主要都市まで、どんどんその線路を伸ばしていきました。
地租改正では、政府の財政を安定させるため、それまでの米による納税を現金に変え、その金額も土地の所有者に「地券」を発行して、地価の3%を納めるように決めました。つまり、「土地の所有者が、地価の3%を現金で納める」方式に変えたのです。
さて、こうして世の中が安定しだすと、文明のほうも発達してきます。街には「ガス灯」がともり、「洋食」を食べ、人々が「洋服」を着だします。「郵便制度」がしかれ、「銀行」ができ、新聞の発行、雑誌の出版・・・暦も「太陽暦」を使用し始めます。「日月火水木金土」ができたのも明治からなんですね。ただ、この新しい文明は農村には広がらず、都市にとどまりました。
(これぞ、ほんとの「欧米か」!・・もう、古いなぁ)
☆☆ 明治の変化を覚えよう ☆☆