第28回 3回の改革                                                      

 

享保の改革 ・・ 徳川吉宗 新田開発、上げ米の制、目安箱、公事方御定書
寛政の改革 ・・ 松平定信 倹約令、囲米の制
天保の改革 ・・ 水野忠邦 株仲間の解散

まとめて覚えましょう。

 

 8代将軍吉宗の頃になると、しっかりしていた幕府の体制もゆるみがでてきて、財政難になってきました。そこで、吉宗は、大名に対して、お米をくれたら参勤交代で江戸に滞在する期間を半年短くしてあげる、という政策:「上げ米の制」をうちだします。また、「目安箱」という投書箱をおき、江戸町民の意見を聞こうとしました。武士には武芸のけいこに励み、ぜいたくをせず、質素倹約を命じる法令もだしました。「青木昆陽」という学者の助言で、ききんにそなえて「さつまいも」を栽培することもすすめました。

 

 次の将軍家重・家治のときに老中になったのが、田沼意次です。「株仲間」を公認し、大商人と組んでいたので、「わいろ」が横行します。印旛沼の干拓を手がけたのもこの人です。しかし、それは失敗しました。

 

 やがて、「天明の大ききん」がおこります。そのとき老中になった松平定信は、吉宗のとき以上の「質素倹約」をうながします。米も、獲れたときは貯蔵するようにという「囲米の制」を行いましたが、成功しませんでした。

 

 その後、新たな恐怖が日本に近づいてきました。ロシアが北海道にやってきたのです。開国を迫りましたが、幕府は断り、やがて「外国船打払令」をだします。その波紋は「蛮社の獄」という事件に発展します。鎖国政策を批判した渡辺崋山や高野長英らを捕らえた事件でした。

 1833年、「天保のききん」がおこります。そして、生活が苦しくなった農民や町民が一揆や打ちこわしをおこしたのです。大阪の役人だった大塩平八郎までが乱をおこします。こんな不安定さが増す中、老中「水野忠邦」は「天保の改革」を行います。


  物価をさげようと株仲間を解散しますが、あまり効果はありませんでした。そして、江戸や大阪の大名たちの領地を他に移し、江戸と大阪の土地を幕府のものにしようとしますが、これも反対にあいました。

 

 今まで「××が○○の改革」なんて覚えてきましたが、成功したものって少なかったのですね。

 「天保の改革」が行われる直前、中国とイギリスの間でアヘン戦争がおこります。そして、中国が敗れ、「南京条約」という中国にとって不平等な条約を結びました。それを聞いた幕府は、「外国船打払令」をひっこめます。日本に、外国の手が迫ってきています。

 

☆☆ 揺れる世の中を感じよう ☆☆