第19回 メインは、信長・秀吉・家康でしょ!
鳴かぬなら鳴くまで待とう ほととぎす
あまりにも有名なこの歌。徳川家康の性格を表しているといわれていますよね。
たぶん、みんなは知っていると思うけど、一応、他の2人のも紹介しておきますね。
鳴かぬなら殺してしまえ ほととぎす・・・織田信長
鳴かぬなら鳴かせてみせよう ほととぎす・・・豊臣秀吉
すごいね。本当の性格を表しているかどうかはわからないけれど、彼らの生き方は見事に表現していると思うよ。家康は、長い人質生活を送り、信長・秀吉に仕えて、ただひたすら時期を待った。信長は、周りの武将と戦い続ける日々。どんどん押し進んで、自分の力で勝利を勝ち取った人ですよね。秀吉は、信長からの難しい命令も、知恵と力でなんとかこなした人。そう理解して、彼らの生き方をたどってみてください。
信長は、数々の戦いの末、1573年に、京都から、将軍足利義昭を追放します。室町時代が終わり、安土桃山時代の始まりです。近畿地方を治め、滋賀県に「安土城」を築き、関所の廃止や楽市楽座の政策をとりながら、全国統一をめざしました。
そうだ、信長の戦いはたくさんあるけれど、「長篠の戦い」は覚えておいてくださいね。相手は「武田勝頼」。日本で初めて、鉄砲が使われた戦いです。信長の「鉄砲隊」が、騎馬中心の武田軍を破りました。
「楽市・楽座」とは、「座」という同業者組合の特権をとりあげ、商工業を自由にした政策です。江戸時代の「株仲間」もそうですが、同業者組合というのは良し悪しで、力を持ちだすと、販売を独占してしまいます。つまり、新規開業者を受け付けないで、自分たちで勝手に統一の値段を決め(しかも、儲けたいから、高めにね)、その物品の販売を他の者にさせない、という行動をとるのです。(現在では、「独占禁止法」という法律ができ、物品の販売を1社で独占して売ることはできないようになっていますし、業社同士が互いに話し合って値段を決めたりできないよう、法律で定められています。)
勢いを増していくかと思われた信長ですが、1582年、京都の本能寺で家来の明智光秀に殺されてしまいます。本能寺の変です。なぜ「明智光秀」が信長を襲ったのかは、はっきりとわかっていません。私の考えですが、信長の自分勝手なふるまいに振り回されていた明智光秀が、耐えられなくなって行動にでたのではないかと思います。前回に述べた、信長の妹の「お市の方」たちの物語を知ると理解できると思いますが、信長の周辺の人たちは、信長の行動に、かなり頭にきていたかもしれません。
しかし、明智光秀は天下をとることなく、中国地方の毛利氏攻めから飛んで帰ってきた豊臣秀吉に負けてしまいます。「三日天下」という言葉は、ここから生まれました。実際には、一週間ぐらいは明智光秀がトップだったようですが・・・。
☆☆ 今回の目標 「座」と一緒に江戸時代の「株仲間」も覚えよう ☆☆