第12回 藤原氏の次は院政だ
問題 藤原氏に政権をとられて、くやしかった人は誰でしょうか。
答え 平安初期まで政治を行ってきた天皇一家です。
もっとも、藤原一族の女性が生んだ天皇は、何もわからずにいたことでしょう。しかし、藤原氏の血が混じっていない天皇は、藤原氏が邪魔で、何とか政権を取り戻そうと考えていました。最初にそれを実現したのが、後三条天皇という人でした。続いて天皇になった白河天皇は、自分が退位して「上皇」になるときに、政権を次の天皇に譲らず、そのまま持って行ってしまったのです。その頃の「上皇」の住まいを「院」と呼んでいましたので、上皇が政治を行うことを「院政」といいます。その後43年間に渡って「院政」は行われます。
その頃、荘園を守るために武装して訓練をする豪族がでてきました。この豪族とその配下の農民が、「武士」の始まりです。その中でも、天皇家の血をひくといわれる「源氏」と「平氏」が大きな武士団を作り、力をつけていきます。関東でおこった「平将門の乱」や瀬戸内海でおこった「藤原純友の乱」なども、地方の豪族が武装化して力を持ったためにおこったことですね。
このように、各地で力をつけてきた豪族たちが反乱をおこすと、天皇の命令でそれを治めに行くことになります。この役割をしたのが「源氏」と「平氏」なのでした。そして、「院政」最後の上皇「後白河上皇」に気に入られたのが平清盛です。「平清盛」は、平治の乱で、「源義朝」を討ちます。それによって、源義朝の子、源頼朝は、京都から遠い「鎌倉」に流され、まだ幼かった源義経は京都の鞍馬山の寺に預けられたのでした。
ほら、次の「鎌倉時代」につながる人間関係がでてきたでしょう?
さて、「源氏」に勝った「平清盛」ですが、「後白河上皇」によっぽど気に入られたらしくって、「太政大臣」になります。〔あっ、また、でた!「太政大臣」。確か、律令政治の時にえら~い地位でしたよね。〕 そして、中国の「宋」と貿易をするなど、政治を行うのですが、なんと!ここで「平清盛」は「藤原氏」と同じようなことをしてしまうのです。
そう、あれです。自分の娘を天皇のお嫁さんにしてしまった! つまり、武士なのに、貴族みたいに振舞っちゃった。それで、武士の反感を買い、以前にいじめた「源氏」に、いじめ返されたのです。
と、今日はここまで。「平氏」と「源氏」の戦いは、これからが本番です。
☆☆ 今回の目標 平氏と源氏の因縁を覚えておこう ☆☆